Mar 29, 2020

2020年.3月.岐阜.

出張の面白いところは旅行とは違って、求めていたものとはまた別の “偶然の発見や出会い” があるってことかもしれない。しかも、そういった出会いや発見の方が、結果的に自分の興味を広げるきっかけになったりするもんだ。

これから紹介する場所も、仕事で行かなかったら一生行くことはなかったかもしれない。

岐阜へ行った時のこと。
ホテルの周辺を散歩してたら、廃墟のような商店街に迷い込んだ。

奥に進むと、何件かシャッターが上がってるんだけど、やっぱり人の気配が全くしない。歩いている人もいなければ、お店の人も見かけない。まるで「千と千尋の神隠し」の冒頭のシーンみたいだ。天井を見上げると、恐竜の骨みたいな鉄骨でアーケード造りになっている。とても不思議な空間。

写真を撮っていたら、どこからともなく

『何やってんだい?』

と声を掛けられる。店の奥の方にご老人がひとり、ちょこんと座って店番をしていたんだ。そのおじいさんがこの商店街の事を色々と教えてくれた。その話がとても興味深かったので、帰ってからも更に自分で調べたんだ。それらの情報をまとめると、この商店街には以下のような歴史があるらしい。

戦後北満州から引き上げてきた人々が、焼け野原と化した岐阜駅前にバラック小屋を建て、そこで古着や軍服を売り始めたのがこのアーケード街の始まりらしい。それらが繊維問屋街へと発展し、いつしかこの問屋街はハルピン街と呼ばれ、日本全国から商人が生地の買付けに来るようになったんだとか。

高度成長期には繊維問屋からアパレル産業へと変わり、東京、大阪に次ぐ第3のファッション都市にまで発展した。また海外とも交流を深めていて、イタリアのフィレンツェと姉妹都市の関係を結んだりしていたらしい。でも、平成に入ってからは、東南アジア諸国や中国製品の台頭によって、徐々に岐阜製品の影が薄くなっていった。

『今はもう寂れちゃったけどな』と、お爺さん。

確かに、アパレル業は仰る通りかもしれないけど、ネットで調べると、岐阜駅周辺は昭和レトロの建築物が数多く現存すると言うことで、そっちの愛好家の人達にはなかなか人気らしい。でも、近年駅周辺は再開発が進んでいて(岐阜駅自体も新築ピカピカ、しかも洗練されたデザインでハルピン街とは見事に対照的)、徐々に取り壊しも始まっている。

そのうち、ハルピン街は取り壊されて、当事者もいなくなって、資料や写真上だけの存在になっていくことだろう。
しょうがない事かもしれないけど、少し寂しくもある。

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